連続テレビ小説「マッサン」が残り3話となり、物語の終盤に差し掛かるたびに視聴者の感情がかき乱されている。エリーの余命を宣告され、政春との結婚式や思い出話が展開されるたびに、見ていてなんとも言えない気持ちになるのだが、こんな切羽詰まった状況を目の当たりにすると、ふと思う。人生も仕事も、全ての「記録」は本当に後から見返されるのだろうか、と。そんな疑問が私のノートの書き方への不満につながる。
正直言って、僕はノートを取るのが好きだが、その多くはほとんど見返すことなく放置してきた。情報をメモすることに価値を感じる一方で、後で読み返す前提に立つと、知らず知らず細かい記述や整理にこだわりすぎて、時間が無駄になるのではないかという気持ちになる。これは「マッサン」のエリーのように、残り時間が限られているという緊迫感を感じると、なおさら鮮明になる話だ。
この矛盾を解消するヒントとして注目したいのが、ざっくり書いて使い切りを前提にしたメモのスタイルだ。重要なのは、ノートが永久保存や復習のための「百科事典」ではなく、今この瞬間の「思考の補助輪」であることを自覚すること。つまり、最初から「ほぼ二度と見返さない」前提で、必要最低限の文脈やキーワードだけを断片的に残す。これで煩雑な整理や完璧な書き込みから解放される。
一例として、仕事の会議メモやアイデアメモをとるとき、詳細な議論内容ではなく「決まった結論」「後で調べるべきキーワード」「宿題になった課題」だけを簡潔に書く。こうしたメモはザッと書いて処理するための道具であり、時間をかけて美しく整えるものではない。その方が精神的な負担が軽くなるというメリットもある。
「マッサン」の終盤には限られた時間の中で大切な思い出を共有するシーンがあるが、これも長く残ることを願いながらも、実際には人の記憶に頼っている部分が大きい。ノートも同様で、どんなに細部まで書き留めても、その情報は必ずしも後から正確に振り返られるわけではない。だからこそ、メモの本質は「今を生きるための支え」と心得、潔くシンプルに書くのが合理的だ。
結局、ノートを書く目的が「記憶の完全な保存」ではなく「情報の整理や思考の促進」であるなら、過不足なく「使い捨て感覚」で書くことが賢明だろう。現場でざっと書いたメモをもとに、その場で考えを組み立てることに注力すれば、読み返す頻度の低さも不満に思わなくてすむはずだ。
「マッサン」の物語が終わるころ、ノートへの考え方も少しアップデートしてみてはどうだろうか?面倒な繰り返し閲覧を期待せず、気楽に書き散らすことこそが、現代の多忙な生活に寄り添う現実的なノート術なのだ。
